デマのリツイートとソクラテス

先日、fbに次の投稿をしたのでこちらのブログにも載せた。
[デマのリツイートとソクラテス]
二年前のこのスピーチはネットで非常に有名になりました。卒業のシーズンなので、改めてその含蓄の深さへの驚きを添えてシェアしました。スピーチは要約すると、「本当か確かめずにリツイートすんなよ」ということです。かつての東大総長が「痩せたソクラテスになれ」を引用したのも改竄だし、そもそも演説では読まれなかったのにマスコミが原稿から報道した。ここでソクラテスを使ったことが、またおもしろくて皮肉だなあと思うのです。
総長や学部長にその名前を使われたソクラテスはこの点について非常に賢かったのです。ソクラテスは書き言葉が嫌いで、ひとつも著作を残しませんでした。なぜその名前が有名かというと、弟子のプラトンがソクラテスの本をたくさん書いてくれたからです。では、なぜソクラテスは著作を残さなかったのでしょうか。彼は2000年以上前から、無自覚なリツイートを予期していました。プラトンによる対話編『パイドロス』の後半で、ソクラテスはパイドロスとお話をしながら、書き言葉についての意見を述べます (ちなみに前半はあの有名なプラトニック・ラブについてです)。ソクラテス曰く、「書かれた言葉は、生きた魂を持った言葉の影」であり、絵画と同じようなもので何を聞いても同じことしか言いません。さらに、次のように続きます。
"言葉というものは、ひとたび書きものにされると、どんな言葉でも、それを理解する人々のところであろうと、ぜんぜん不適当な人々のところであろうとおかまいなしに、転々とめぐり歩く。そして、ぜひ話しかけなければならない人々にだけ話しかけ、そうでない人々には黙っているということができない。あやまって取りあつわれたり、不当にののしられたりしたときには、いつでも、父親である書いた本人のたすけを必要とする。"
デマをシェアした人たちの寝室の天井に貼っておきたくなる言葉です。対話であれば、質問をすれば返事をくれるし、話すべき人を対象に話すことができます。書き言葉だとそうはいきません。グーテンベルクの活版印刷が登場すると、なおさらその傾向は強くなりました。インターネットの登場は、ご存知のとおり、その勢いに拍車をかけました。
教養学部長のスピーチは、「デマを信じたり拡散したりするなよ」というものですが、そこで事例としてソクラテスが使われているところが、皮肉に富んでいて、おもしろい。ソクラテスがこれを見ていたら、「言ったとおりだろう。」と思うのでしょうか。
もちろん、いま私が紹介した言葉が本当にプラトンの『パイドロス』に出てくるのかどうか、必ず自分の目で確かめることもけっして忘れないように。もしかすると、これは私が仕掛けた最後の冗談なのかもしれません。
ちなみに、同じ書き言葉であっても、それを何を通して読むかで、違った受け取り方をします。この記事をfacebook上に投稿しても最後まで読む人が多くなく、しかし、これを本にある文章だったら、最後までちゃんと読む人は多いのではないでしょうか。このことはまたいつか書くかもしれません。
また、近いうちに私が卒業した高校で新入生向けに講演をするという話もあります。自分もついに、偉い人の祝辞を受ける側から、祝辞を与える側になるようです。そんな新入生に対して、高尚で尊大な生き様を呈示できるように生きたいと思います

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